たべもののはなし

食べることばかり考えてる

ネクタリン、美の果実

この夏はやたらに桃が美味しくて良い日々だった。いわゆるふつうの桃はもちろん、桃の仲間であるネクタリンもすごく美味しく食べた。

 

ネクタリン。もしも私が絵を描けたら、すごく描きたいのがネクタリンという果物だ。ものすごく美人な果物だと思う。

すれ違いざまに釘付けになるお洒落な女性の口紅みたいな朱色の皮はピンと張りつめていて、ツヤツヤ。中のみずみずしさ、潤いが見た目からも伝わる。包丁を通すと意外にも芯のある手応えで、中味はうっとりするような黄色と鮮やかな紅色がまだらに模様をなしている。

中央のタネの色は一口に茶色とは言えないような複雑な色で果肉とのバランスが素敵。

 

和名はズバイモモというそうだが、ほかにいくつかあるそうだ。ツバキモモ、ヒカリモモ、アブラモモなどと言われるらしく、どれもピカピカでジューシーなネクタリンにぴったりではないか。

 

ネクタリンの味わい、色味、どれもが好きすぎる。テーブルコーディネートなどは全然得意ではないが、ネクタリンに関して言えばあえて群青や真っ黒のお皿に乗せて、太陽の光みたいな色味の美しさを堪能してみたいなぁと思う。

 

ギリシャ神話のお酒好きな女神が愛したお酒から取ったという名前も美しい。ところで、同様の由来で名付けられたネクターという飲み物がある。不二家の桃のやつ(美味しい)に限らず、様々な果物のネクターがあり、どういう概念かというと簡単に言えば果物をすりつぶして作られる果肉満載ジュースといったところだろうか。果物によってパーセンテージも決まっているらしい。

 

もちろんそれらもたいそう美味しいのだが、私にとってこれはネクターに限った話ではないが果物に関しては加工品よりもそのものズバリが一番美味しく、どんなに美味しいジュースやスイーツであってもホンモノが恋しくなる。

 

良し悪しの話ではない。例えば「イチゴ」と「イチゴ味」は全く異なる概念として美味しくいただいているが、イチゴは大地と農家の方々が作り出した芸術品だし、イチゴ味はイチゴという素晴らしい芸術にインスパイアされて人類が作り出したこれもまたひとつの芸術だ。

強いて言うならば、後世の優れた作品の背景に多大な影響を与えた偉大な存在を見出すとき、どうしてもその偉大さを思わずにいられないのと近しい。

 

話をネクタリンに戻すと、様々な事物に自然の偉大さを見出すなれど、ネクタリンの佇まいにはもう美しすぎて畏れすら感じる。うっとり、惚れ惚れしながらあまりに美しい果実を口に運ぶその瞬間を幸福と呼んだっていい。

そのお味は、言わずもがな。

 

ネクタリン、大好き。