たべもののはなし

食べることばかり考えてる

ヤクルト絶対主義、私は乳酸菌の都市

「小さいころ誰もがヤクルトを思いっきり飲みたいと思う。その夢を叶えたのがヴィックルよ」

 

これは母に言われたことだが、果たして本当なのだろうか。

 

ヤクルトは数ある乳酸菌飲料の中でも一番美味しいと思う。味わい、濃さ、喉ごし、それらが唯一無二。数ある他の乳酸菌飲料を飲んでヤクルトっぽいと思うことはあっても、ヤクルトを飲んで○○っぽいと思ったことはない。ヤクルトはヤクルト。

 

わたしが飲むたび驚くのはその量感だ。ちょっと多い目薬くらいの気持ちで構えていると意外とゴクゴクいけて大変嬉しい。調べたが、内容量はもとよりボトルのデザインにも理由があるらしい。独特なくびれのあるボトルは剣持勇氏のデザインらしいが、それがあることによって液体が一度に出ないそうだ。

 

飲み手である私にはそのことはたいそう重要である。なんたって私は自分がウワバミである錯覚をしそうになるほど飲み物を飲むスピードが速い。私の口の周りだけ重力がやばいんだと思うほど。

 

それゆえ、ある種の飲みづらさでもあるヤクルトの形状は非常にありがたい。言わばラムネのビー玉である。唯一無二の美味しい液体を長く楽しむために多少の制約があると思えば愛しくもなる。

 

数え切れないほどの乳酸菌がいるのでおなかも元気だ。ところで以前のある日、ヤクルトに憧憬を募らせて募らせて募らせてしまったばかりに500mlもある某乳酸菌飲料を一気飲みしたことがある。その時の私の体はきっと乳酸菌のマンション、いや、乳酸菌の一大都市であったことだろう。人口ならぬ菌口の急激な増加に耐えうる都市設計はきっとなされていなかった、いやはや、彼らには申し訳ないことをした。

 

ちなみにその乳酸菌大量摂取の一件は恋人に「牛丼を一気食いするのと変わらないじゃないか!」と窘められた。まこと、不覚である。

「道ならぬ恋に溺れて人生を誤る」を、乳酸菌の規模感でやってしまったような気になった。ええい、どれとこれもヤクルトが美味しいのが悪い!

 

ヤクルト、大好き。