たべもののはなし

食べることばかり考えてる

緑茶inニューヨーク

20歳の冬に、ひとりでニューヨークに赴いたことがある。

生まれてすぐの時から「あなたの、アメリカのお婆ちゃんより」という文を添えて毎年毎年クリスマスプレゼントを贈ってくれていた、父が大学生の頃の留学先のホストマザーに会いに行くためだ。この時の話は、いつかきちんと書きたい。

 

彼女が住んでいたのはボストンだが、その前にニューヨークという街を訪れてそれはそれは惚れ込んでいたので、せっかくアメリカに来たのだから、と拠点をニューヨークに構えることにしたのだ。

 

そして、私は一人旅においてこの「せっかく来たのだから」という感情が爆発する。いろいろ体験するためのこなせるギリギリのスケジュール設定と、街並みを見るために歩けるギリギリの距離の歩行をやめられない。詰め込んで詰め込んで詰め込んで、大満足!な旅をするのが好きだ。

 

緑茶を美味しいと心から思った日も、例によって無理やりな旅行をしていた。確かその日の夜は来て日も浅く、行きの飛行機でCAさんが教えてくれた美味しいクラムチャウダーを食べてみようとグランドセントラル駅まで行ったのだが、「せっかくだから」と30分以上歩いたと記憶している。

 

夕方から歩き始めて夜になり、クリスマス前の時期ならではの街の光たちがとても綺麗だった。そして、すこぶる寒かった。私が訪れた年のニューヨークは染み渡るほど寒く、空は高く晴れて最高気温が氷点下だった。面白かったのは、頭皮から冷えていくのだ。東京の冬を過ごす日々で毛糸の帽子なんてかぶろうとも思ったことはないが、ニューヨークは毛糸の帽子がないと辛い場所だった。一歩一歩歩みを進める毎に髪の根元が冷え切っていく。頭皮の毛穴が小さくなっていくのがわかる。面白い体験だった。

 

クラムチャウダーはまったりと美味しく、このときも「せっかくだから」と頼んだ牡蠣がほっぺた落ちそうなくらい美味しかった。ぷるり、つるり、じゅわと広がる豊かな風味。なにせ一人旅、当たるのが怖くて牡蠣は1粒しか頼まなかったのだけど、お店のおじさんに笑う通り越して驚かれた。そんな頼み方する人いないよ!って。

でも、その時は本当に嬉しかった。ひとりで、会いたい人を訪ねてアメリカに来て、ニューヨークの街を歩いて、名物を食べて、生鮮食品だって食べた。震えるくらい嬉しかった。20歳、かつて父がアメリカ行きを望んだ歳だ。

 

そして、さすがに寒かった。街のいたるところにデリがあり、錠剤からお茶っぱまでなんでも売っている。今夜は日本茶の、あったかいのを飲みたいなといわゆる緑茶を買ったのだ。そしたら意外と高くて、異国の飲み物は贅沢品なのねなんて思ったものだった。なんだかすごく特別な飲み物に感じた。

 

ホテルに帰り、湯沸かし器をすすいで中に緑茶を入れ、温めて飲んだ、その緑茶の、なんとなんと美味しいこと・・・・。冷え切った体に、「元気」とか「安心」とか優しさにまつわる概念を一つ残らず直接流し入れたような心地になった。髪が冷えるような寒さも、絢爛豪華な街並みも、すれ違う人たちの会話も、目に入る文字も、クラムチャウダーも、そもそも一人旅も全部全部全部が初めて。きっと疲れていたのであろう私を、日本から連れてこられた緑のお茶が温めてくれた。お代わりして飲んだらおかしくなって、窓の向こう、クリスマスカラーに灯ったエンパイアステートビルを眺めながらニヤニヤしていた。

 

それ以来緑茶は、寒い時、寂しい時、安心したい時のお守りである。植物が一生懸命生きて、職人さんがが丹精込めて、発酵とか日光とか風とかの自然に整えられた飲み物。そりゃ、元気も出るよ。いつも幸せに飲んでいる。

 

緑茶、大好き。