たべもののはなし

食べることばかり考えてる

わたあめと時間

子供の頃、大人たちは「時間がない」「若いうちに」「すぐ年取っちゃう」って皆言うなぁと思っていた。

 

ただでさえ目に入るもの全てが刺激的で新鮮で面白い時分であったため、目に見えない"時間"という概念についてそこまで言われても実感は持てずにいた。いつか死ぬというのは知っていて、それが人の持つ時間の終わりというものはわかっていて、でもそれは自分には関係ないことだと思っていた。そんなの寂しいなぁくらいの気持ち。

 

例えば時計がその最たるだが、時間とともに変化するものをもっと早くから見つめていたら大人たちの言葉の理解も早かったかもしれない。でも、その頃時間は減るものではなかった。今日が終われば明日が来る、ただそれだけのこと。減るものというよりは、新しくなっていくものだった。

 

そんな私にとって、おそらく初めて「時間による変化」「時とともに減る」を実感させてくれた食べ物が縁日のわたあめだったと思う。

 

子供の上半身ほどもある大きさのわたあめが、大好きなキャラクターのビニール袋に入って屋台はとってもとってもカラフルで情報量が多い。おじさんが器用に割り箸を操ってお砂糖の雲を捉えてくれる。一口食べると本当に雲みたいなフワフワで嬉しさがたまらない。口の水分がついた部分は飴のように固まり、キャラキャラとした食感が雲に混じる。さながら氷の粒みたいだ。

 

こんなに美味しいわたあめを、明日の私も食べられたらどんなに良いだろうと思うのは誰しも思った経験があるだろう。もちろん私もその1人だったので、親にせがんでおみやげをひとつ買ってもらい、持って帰った。

 

もちろん翌日のわたあめと私のリアクションはご想像に難くない。「ない!!」と言いながらめちゃくちゃ驚いてしまった。あるのだが、シオシオでカチコチ。これが初めての「時間とともに減る」の経験だったと思う。

 

今は、時間は減るものという意識が強い。いつから時間に対してそう思うようになったのだろう。人生がいつか終わると思ってそういう捉え方になっている気がする。何が嫌ってそれがいつかわからないことだ。減りのスピード感や度合いがわからぬ。

 

でも、せっかく生まれたので楽しくやっていきたい。健康と安全と平和を大事にしながら色んな挑戦をして、成功を目指しながら時々失敗して落ち込んでみたりして、周りの人の存在を実感しては感謝して、食べることを慈しんで、そんな気持ちを積み重ねていくことは悪くないはずだ。

 

わたあめをあっという間に食べ終わる名残惜しさも美味しさのうち。来年も食べたいと思うのも美味しさのうち。わたあめからはたくさんの時間を学んだ。変化、刹那、未来。きっとここにいつか継承とかも来るのかな。

 

わたあめ、大好き。