たべもののはなし

食べることばかり考えてる

オクラ、梅肉、鰹節、お醤油

今でこそ日々の弁当生活を大変楽しんでいるが、最初からシャクシャク余裕で毎日いたわけではない。

 

むしろ、大皿に盛り付けて完成〜〜みたいな料理しか作ってこなかったな…と反省しきりの日々であった。量感もわかんない、作り置きの仕方もわかんない、味付けのバリエーションもわかんない、みたいなわかんないづくしで。

 

そんな私を本当によく支えてくれたのがオクラという食材だった。もともと、刻んだオクラを梅肉、鰹節と和えたやつがとても好きなのだが、最初期は狂ったように毎日それを作っていた。

 

オクラは良い。味も食感も爽やかだし、調理工程も楽しい。まず軽く洗って塩でザリザリと揉む。この感触が楽しいのだ。普段の生活では絶対にない手触りというのはワクワクする。表面の毛を落とす作業なのだが、どうも塩という媒介を通してオクラという植物と対話している気になる。ゴロゴロとオクラを揉んでいると人間って大変だけど良いものですねなんて話しかけられている気分だ。

 

揉んでいる間に傍のガスコンロではフライパンでお湯を沸かしている。沸騰して来た頃合いで、オクラを軽く流してちょっぴり残った塩ごと投入。ここで私のこだわりは、沸騰した湯に1分15秒。この時間が大体いちばん美味しい。1分だと固すぎ、1分30秒だともうちょっと柔らかさが気になる。ベストが1分15秒。

 

湯につけると、緑がブワァ〜〜っと鮮やかになっていく。毎回魔法を見つめるように呆然としてしまう。絶対生きられやしない環境にさらされて、こんなに生き生きとした色が出ることをオクラたちは知っているのだろうか。鮮やかで美味しそうな、綺麗な緑。この現象はオクラに限らないがいつも本当に不思議でワクワクする。宝石を食べようとしているとさえ思う。

 

「時間ははかることでしか観測できない」という出典を忘れてしまったが大好きな言葉がある。たぶんそれは腕時計を買うときに知った言葉なのだけど、オクラの茹で時間という形でも時間は観測できるわね、と今も毎度ニヤニヤしてしまうものである。

 

ザルにあけ、水で洗い、小気味好く刻んで梅肉と和え、仕上げに鰹節とお醤油。君たちは、きっと出会うことなんかなかったはずなのにねという組み合わせだ。でも本当に美味しい。

 

すれ違う筈もない予定だった出会いというのは得てしてものすごいイノベーションを起こすか全く上手くいかないかであるということを台所に学ぶ。全ての人と仲良くなれるわけではないけれど、話が弾む、とかそれだけでも嬉しくなったりするものだ。それでいくと食材ってすごい、当事者同士の出会いが第三者である私を喜ばせ、栄養をもたらし、お腹を満たして幸せにする。そんなふうに思えるのも毎日台所に楽しくなっているからで、習慣を作ってくれたオクラに感謝している。

 

オクラ、大好き。