たべもののはなし

食べることばかり考えてる

冷凍みかんと愚かな幼子

フルーツが加工によって「自然の植物」から「お茶菓子」や「スイーツ」に華麗なる変身を遂げた食べ物が殊の外好きである。干し芋、あんぽ柿、チョコバナナ、シロップあんずなどその種類は多岐にわたるが、中でも今日みたいに新幹線に乗っていると思い出すのは「冷凍みかん」である。

 

冷凍みかん。魅惑の食べ物である。初めて冷凍みかんを食べたのは家族でどこかへ向かう新幹線の中だった。駅弁を売っているお店に売っていたというそれは、いつもよく知っているみかんと全く同じフォルムながらとびきり冷たくて驚いた。

 

冷たさがほんの少し和らいで柔らかくなった皮を剥き、ひとふさもいで食べた時の、その、驚き…。ジューシーなみかんの果汁がそのまま凍てついて、アイスキャンデーのごとき代物に変わっている。冷たさのせいかいつもより甘く感じ、冷たさのせいで少しザラっとした歯ざわりは至高だった。夢中で食べた。

どこへ向かう旅行だったかも思い出せないのに、食べきれなかった冷凍みかんを「溶けちゃって美味しくないから」と食べさせてもらえなかった時とても後悔し、寂しかったことは覚えているくらいだ。

 

今も外食で美味しいものに巡り合うと「うちでもこれ、食べたいな」という思いを持ちがちなのだがそれは当時から既にそうだった。帰宅後すぐに私のとった行動は、みかんを冷凍庫にギャン!!と入れることだった。あんな美味しい魔法みたいな食べ物が、みかんを冷凍しただけのものならば。魔法の箱は、うちにだってあるじゃないか。

 

えてしてこの発想は危険である。大抵、魔法を望んだ凡人は叶わないか、叶っても身を滅ぼす。しかし幼い私はその危険さに気づくほどに物語を読んではいなかった。

 

半日ほど経った頃ワクワクしながら冷凍庫を開けると、そこにあったのはオレンジ色の小さな岩だった。冷凍バナナで釘が打てるなら、あのみかんでも打てるだろう。冷凍みかんを超えて氷みかんだった。

持つ側から冷たくなっていく手。固いまんまのみかん。幼いながら知っていたのは氷はあっためると溶けるということ。そこで、私はその氷みかんを持ちストーブの前に座した。「溶かせばいいんだ…溶かせば…」ここでも、炎を過信する愚かな人間の姿がある。絵本読もうな。

なぜかそのみかんは上手に溶けなかったのだ。熱された皮が薄くなってベロ、と剥げるも、身は固いまんま。そうこうしている間にも手は冷え、悲しくなってしまって、そこからの記憶はない。

 

身を滅ぼすまで行かずとも、魔法と炎を過信してはいけないな、と思った。魔法使いも炎使いも生まれながらか修行の成果なのだなぁと思ったものだ。冷凍みかんも、特別な魔法の箱で特別な塩梅で作られた、特別なおやつだった。プロフェショナルに対するリスペクトを覚えたのは、思えばその瞬間が初めてだったかもしれない。

 

冷凍みかん、大好き。