唐揚げについて考えだすと3日は思い続けるくらい好きだけど。
6年ほど使い続けている香水がある。かつて母と行ったイタリアで出会った薬局で、「いいのあったらいいな〜」となんとなくいくつか手にとった中で一目惚れならぬ一鼻惚れした。
それからはや6年、ほぼ毎日使っているがとにかく飽きない。朝昼晩いつでも、ひとふきすればその香りにうっとりする。この香りに会える運命を与えてくれた神様に感謝している。
でも、なぜ飽きないのかわからない。多分相性がいいのだ、と思っていたけど最近その表現にちょっぴり違和感がある。
人間生活も四半世紀を超え、相性って双方の意思に基づくものじゃないのかなと思うようになった。例えば恋人同士でも、片方がものすごく愛していてもう片方が無感情だったとしたら、それはアンバランスだろう。でも私とその香水の関係はまさにそれなのである。なのでますますなぜ飽きぬのかの謎は深まる。
同じく飽きないものの1つが唐揚げだ。唐揚げすごい。こないだ食べてももう食べたいし、醤油風味も塩風味もアジア風味もレモンかけてもマヨかけても柚子胡椒添えても美味しいし、衣がサクサクのやつもフワフワのやつもいける、揚げたてはもちろん冷え切った冬のお弁当のでも嬉しい。流石に毎日食べたことはないが、飲み会の続く時期に毎回出てもその度に喜んでいる。
そもそもなんで肉に味をしみさせたのちに卵と衣つけて油に入れようと思ったかな、先人は。つくづくお料理はすごいな、天才ばかりだったのかと思う。もしくは星の数より多かったアイディアの中から天才的なものばかりが残り伝えられてきたのかもしれない。なんて豊かな世界だろう。
こんなにも唐揚げが好きだ。だけど唐揚げはきっと私を好きじゃないだろう。単純だがそう感じる時点で相性がいいとはまた違う愛の形だ。
しかし思うのだ。「唐揚げとビールは相性がいい」。唐揚げとポテトは、白ご飯は、キャベツは、レタスは、パクチーは、ナポリタンは、コーラは、ハイボールは、烏龍茶は、相性がいい。
その二者(ないし三者)はお互いを高め合う。組み合わさることによってパフォーマンスつまり美味しさが螺旋を描いて上昇していく気さえする。もちろん、お互いにどう思っているかなんて私にはわからないのだが。
相性について答えを出せる日が来るかはわからないけれど、双方の意思のほかに第三者がそう認識する側面もあるのかもしれない。愛してやまぬあれやこれやと意思の疎通が難しいとき、いつか誰かに相性がいいと思ってもらえるような私であろうと心がけることがひとつの応え方なのかもしれないな。いつも私を和ませ癒し元気をくれるあの匂いみたいに、優しい人になれたらいい。
なお誠に勝手ながら、もちろん愛してやまないが私と唐揚げとの相性がいいという客観的な印象についてはなんとも複雑な気持ちになりそうである。唐揚げ的にも知ったこっちゃないだろうが、しかしまあ…なんとも偏った愛であろうか。
唐揚げ、大好き。