たべもののはなし

食べることばかり考えてる

餃子はいっしょ。でも私とあなたはちがう人

餃子、好きですか?いやいきなりだけど、、そしてもちろん私は餃子大好きですけどね

 

ここ最近はもっぱら、野菜をたくさん摂りたいときに割と早めの段階で選択肢に入る料理である。

たっぷりのキャベツにニラ、気が向いたらしいたけをワーワーと刻んで挽肉をガッ!からの、ごま油とお醤油と塩胡椒をバッ!して、ウオオオオオオである。

それらを、時に夫や友人など食卓を共にするマイメンたちとちまちまと包むのも最高にすき。たっぷりの水と油と強火でプリプリの蒸し焼きにしたのち、カリッと翼を授けるのがたまらん。

 

そして、他の人と餃子を食べるたびに湧き上がる気持ちがある。

「あぁ、私とあなたはちがう人」という実感だ。

 

何もそんな大それた話ではない。言い換えるなら、酢醤油だけが、焼き餃子だけが餃子の食べ方ではないと実感することで、その人がこれまで歩んできた日々に想いを馳せずにいられないのだ。

 

最初に実感したのは仕事の集まりで大量の餃子を食した時だった。私はいつも餃子は酢醤油ときどきラー油で食べるのだが、そのうちの一人がこんな食べ方を披露してくれたのである。

 

「たっぷりの酢!そこに胡椒や!」

 

自分でも驚くほど、その食べ方に心底びっくりした。あなたは醤油のマイルドさがなくてもいいんですか!?

 

「食うてみ!」

 

ウオォである。余談だが私は美味の機会損失、つまり美味しいとわかっていることをかなぐり捨ててチャレンジした結果満腹感と絶望感のコラボレーションを招く事態を恐れて卵かけご飯を醤油以外で食べることを躊躇するような人間だ。

だから餃子が五個ワンセットとか一個30cmみたいな代物だったらもしかしたら酢胡椒は逃げたかもしれない。そういう意味では餃子は良い。

 

恐る恐る食べたそれは、なるほど意外と美味しかった。純度の高いスパイシーな酸味に肉の脂が甘く解ける。ずっと食べ続けるにはなじみが薄いが、ときどき無性に恋しくなるタイプの味わいだ。

 

あぁ、私とあなたはちがう人。

 

目玉焼きの食べ方はソースだろうが醤油だろうが驚かないかもしれないが、それは目玉焼きが個々人の嗜好によってかけるものが異なるという文脈が浸透しきった食べ物であるからだ(出典、元ネタは何なんだろう)。

 

でも、餃子はあまりその文脈では語られない。むしろ餃子は全員好きー!みたいな感じだ。同調だ。

 

あと、調理方法もだ。私の実家はなんとデフォルトが揚げだ。揚げ餃子だ。永らく餃子は揚げ物だと思ってきたがどうやら巷のご家庭やお店では"焼き"らしい。

かと思えば友人宅では水餃子しかやらないという。水餃子なんて、私は殆ど食べたことがなかった。その時教えてもらったので試したら、まぁなんとプルプルツルツルモチモチで美味しいこと…

 

あぁ、私とあなたはちがう人。

 

何なら、君ほぼ私じゃんか、と思うほど気の合う夫との食卓でもその気持ちになったことがある。

夫は餃子を醤油だけつけて食べる。元来酸っぱいものを好まない人だけど、その事実を知った時も驚いたものだった。一口もらうと、やっぱりちゃんと美味しかった。それでも思うのだ。

 

あぁ、私とあなたはちがう人。

 

ちがう人が出会ったから、ちがう美味しさに出会えたのだ。酢胡椒も、醤油だけも、揚げも焼きも茹でも蒸しも、美味しい。餃子といういま同じ食卓に上っている食べ物を、過去にどんなふうに美味しく食べてきたのだろう。そのうち一番美味しいと思って選び続けてきたそれは、最初はどんな風に美味しかったんだろう。

 

あぁ、私とあなたはちがう人。

ちがうからこそ、大切な人。

餃子を囲むたび、そう思うのだ。

 

餃子、どんな味付けでも、大好き。