たべもののはなし

食べることばかり考えてる

スタバのさくらに毎年願うこと

今年ももう二杯飲みました。待っていました。

 

スターバックスの桜に初めて出会ったのは高校生の時だ。

今でもどうやってお小遣いをやりくりしていたのか不思議なのだが、当時親友と放課後に寄ってはだべっていたのはマックやフードコートではなくスタバだった。

 

プレスリリース(2020/02/06) | スターバックス コーヒー ジャパン

 

それまで知ってきた桜風味といえば「桜」というよりも「桜の葉っぱの塩漬け」で、色で言ったら鈍い緑色、どちらかといえば苦手な部類だった。

しかし、その日目に止まったスタバのさくらはなんとなく違った。「どうやら、知ってる桜と違う。しかも美味しい予感がする」。気が向くとはよく言ったものである。

 

一口飲んで、もう夢中になってしまった。桜。さくら。桜の花だ。浮かんだのは淡いピンクのかたまりが水色の空にほどけて滲む情景だった。

あんこや抹茶ではなく、牛乳とホワイトチョコレートと生クリームに合わさると、こうも甘く優しくなるのか。こんなにも暖かな気持ちになるものか。

桜風味の飲み物というよりも、桜という概念を飲み物に昇華した一杯だった。

 

以来、毎年欠かさずにシーズン中は何杯もいただいている。そして、毎年願うことがある。

あぁ、スタバのさくらを飲みながら花見がしたい。

 

シーズンものというものはえてして気が早く、生まれた時から資本主義の中に生きてきた私は街の消費対象にポジティブな季節感の大多数を感じさせられてきた。スタバのさくらもそれに違わず、バレンタインが終わったらもう次、である。

 

案の定満開の桜が咲く頃には何やらサワヤカなお飲み物が店頭に並ぶ。まだいいよ。まだ爽やかなのはいい。ゴールデンウィークあたりからでいいな。桜。甘い甘い桜を飲みながら夜桜の下を歩かせてくれ。毎年変わらない願いだ。しかしそんなもどかしさすらも、もはやスタバのさくらシリーズの味わいであった。

 

そんな願いが叶わなかった年は、だから本当に悲しかった。思い出せるうち、過去さくらのシーズンに一度だけ謎のオレンジ系のドリンクが出た年がある。その時は他のさくらラヴァーな友人たちと荒れ狂った。

 

変わらず供されるということがどれほど大切で尊いか知った。その年から「桜の時期に飲みたい」のほかに「毎年在ってほしい」という願いが加わった。

 

 

ところで私は、変わらないね、と言われることが嫌いだった。

 

生きていると物理的に過去という時間は積み重なって、会いたくなる/会うべき人が増える。久しぶりー!が実はすごく最近だったり、久しぶりじゃないよね?がすごく最近だったり。

 

時間とか感覚とか、そういうものは面白くて好きだ。大人になるにつれ時間がなくなっていくと、あえて入れる予定というものはえてしてすごく楽しみか、経験上好きなものが多い。だからすごくそれぞれの「久しぶり!」を楽しみにしていて、実際1つ1つはとても愛しい。

のだけど。

 

久しぶりー!に続く第一声が

「うわー全然変わらないね!」

であることが私はすごく多い。

そしてそのたびに、少し寂しく思っていた時期があった。

 

思うに、納得いかない自分だったり至らない自分だったり、そういったものの記憶が殆どだったからだろう。

 

それまでの過去といえば、成績が足りなかったり、人間関係の構築がうまくいかなかったり、びっくりするほど太っていたり、憧れに向かう道のりがしんどかったり、というネガティブなものがどうしても鮮やかだった。防衛反応があるからか、どうしてもそのような記憶は残りがちであった。

 

だけど今は、変わらないと言われることが嬉しくもあるのだ。

 

やっとこの年になって、身体的/感覚的な実感として「全て無駄じゃなかった」を感じる機会が増えた。しんどい思い出は回避ルートの構築になるし、しんどい思いをさせてしまった思い出は二度とすまいという覚悟になった。

 

そして、またこれも大人になってしまったなと思うのだけど、嫌だったことよりも嬉しかったことを大切に大切にすることで自分の心と体を守れるようになった。結果として思い出せる記憶はどれもあたたかく優しい。

 

生きる時間が長くなると思い出す過去も長くなり、それに伴って優しい思い出が増える。ありがたいことに今になってわざわざ会う友人たちはそういう記憶を共にしてくれており、思い出話に文字通り花が咲くみたいである。そんな人々に言われる「変わらないね」は、だから本当にありがたいのだ。

 

スタバのさくらは毎年違う。上に乗ってるのがホワイトチョコのフレークだった年もあれば今年はおせんべい的なやつだし、苺風味が強くなった年もあれば今年はどうやらミルクプリンをぷるんと中に入れている。なんと店内に桜が出現するARの仕掛けもあって、うーん令和っぽいという感じもあり。

飲む側の私たちも毎年違う。好きな服も、好きなテレビも、好きな食べ物も、好きな色も、一緒に飲む人がいたりいなかったりも違うだろう。

 

だけど変わらないのだ。毎年この時期に現れて、甘くて優しく、ひと口ごとに桜の花を想う。そしてそれを楽しみに想う心も変わらない。

 

変わらないと思う、思われる、スッと通った軸。私にもしそれがあるのなら、スタバのさくらのように甘くて優しいものであれたらと願う。

 

スタバのさくら、大好き。