たべもののはなし

食べることばかり考えてる

フルーツグラノーラは大丈夫って思っているうちは大丈夫じゃないんだと思う

家にいる時間が長くなり、格段にお菓子の消費量が増えた。「うーん、お菓子の量が目に見えて変わったね〜」なんて生易しいモンじゃない、必需品が一つ増えたと言わんばかりの雰囲気である。お菓子、美味しい・・・相関関係はわからないが家にいるとお菓子が美味しくなるのだろうか。

 

加えて不思議なのは、食べたいな〜と思うお菓子のチョイスが変わったのである。これまでは、特に仕事中ほぼ必ず欲するのはチョコレートであった。カカオと脂と砂糖の存在がなければ迎えられなかった朝、いったい幾つあるのだろうか。それが今や、欲して消費するお菓子のほとんどが小麦ないし穀物由来である。

クッキーマドレーヌビスケットケーキドーナツ菓子パン。陳腐な言葉で表すなら、ぜんぶめっちゃおいしい・・・。風が吹けば桶屋はなんとなく理屈はわからないでもないけれど、家にいる時間が長くなれば小麦製品が美味しくなるのはわかんない。でも美味しい。

 

で、お察しの通りではあるがシンプルに増量した。運動不足に加えて炭水化物が美味しすぎてしまい、ヤッバ・・・となるのをとうに超えていつも体重を測ってはニッコリしている。狂った微笑みだ。

 

一旦お菓子から離れてみることにしたが、なるほど厳しい。そこで、目をつけたのがフルーツグラノーラであった。フルーツグラノーラ。これまでは寝坊した際の朝食という立ち位置においてのみ需要があった君。見た目的には食物繊維も諸お菓子よりは豊富そう。ドライフルーツも入っていてなんだか良さそう。歯ごたえもある。お腹にも良い。

これを、禁煙でいうところのニコレットてきな感じで摂取しようと思ったのだ。切り替えて、徐々に減らせば・・・

 

そしてまあ予想通りっちゃ予想通りなんだけど全然減らないんだよねこれが。美味しすぎる。フルーツグラノーラ美味しすぎることない?朝食だけにするには勿体無いなマジで美味しい・・・全然減らない。なんならフルーツグラノーラが楽しみで食べてしまっている。なんというか情けないけどよろしくない。風味が良い意味で複雑で、また一口ごとに味が変わるのがもうダメ。過去の一口が素晴らしい思い出であり、今の一口が実に豊かで、次の一口が楽しみで仕方ない。

 

おまけに厄介なのはカロリー表示である。決して低カロリーではないものの、牛乳をかけた時と比べると低いのだ(逆にいうとシリアル界における牛乳の栄養価に毎度ビビる。牛乳大好きなんですけど)。したがってボリボリやるとき、低カロリー食品を楽しんでいるような錯覚に陥る。「もしかして私、食生活ヴィクシーモデルなのでは?」

錯覚なのはわかってる、でも大丈夫って思っちゃう。全然大丈夫じゃないんだよね。わりかしいろんな事物において大丈夫って思っているうちは大丈夫じゃないけど、フルーツグラノーラも全然その範疇。○○なら大丈夫って思うのは何故なのか。万物、ナメてはいけない。れっきとした美味しい小麦製品なのである。

もっというと食べ終わるまでなくなりかけてることに気づかない。ほんと「あれ?ないや」でいつも終わる。一番大事なものがそうなる前の疑似体験だと思うとゾッとする。もはやフルーツグラノーラは教訓である。

 

ダメなのはお菓子でもグラノーラでもなく私の弱い心なのだ・・・そんなことを思いつつ、甘さと香りにいつも幸せをもらっている。最大値の幸せを感受すべく、量に関してはほどほど、そこそこを目指したい。

 

フルーツグラノーラ、大好き。