かき氷アンバランス
初めてのかき氷は千葉は九十九里の海の家だ。どうにもイチゴやメロンよりブルーハワイという言葉が気になり、毎年味はさておきその宝石のような色と口に広がる底なしの冷たさを堪能していた。
かき氷の最も古い記憶がそれなもので、私は砕いた氷にシロップというシンプル極まりないかき氷にめっぽう弱い。発泡スチロールのコップに先がスプーンのようになっているストローがついたらもう完璧。
もちろんそれ以外も好きだ、美味しいなと思うのはシロクマ。出会いはカップアイスとしてのシロクマだったが、ミルクの香りのふんだんにする氷にあれやこれやカラフルなフルーツと甘さの塊みたいな小豆、ニチニチとした食感の甘酸っぱいゼリーなどが入っていて次々に宝探しをする気分になりながら食べるのが好きだ。熊本に出張に行った際まだ春先なのに空港で食べた大きなシロクマは本当に美味しくて、しばらく待ち受けにしていたほど。
さて、そんな私だがどうにも心に引っかかるかき氷がふたつある。
一つは、果肉をふんだんに使った贅沢でジューシーな味わいのかき氷。
もう一つは、同じ皿にアイスクリームが同乗してるタイプのかき氷。
間違いなくどちらも美味しい。しかし、かき氷という食べ物を考えるときどうしても違和感があった。
今回かき氷について書くにあたり少し考えてみて、やっと少しわかった気がする。
おそらく果肉やアイスクリームが氷といっしょに存在するとき、かき氷という役割を持ちつつも主役は果肉やアイスクリームだということだ。
たっぷりの甘さに氷が溶けながら混じって、シャクシャクとした食感とともに夏の味わいを楽しむ。しかしそのとき、その味の主役は何か。イチゴやメロンやミカンやバニラアイスではなかろうか。
シロップのかき氷は、そのままでは味わいに乏しい氷そのものを彩って味わうという行為で、その画期性にも魅力を感じていたことに気づく。紛うことなく主役は氷であり、シロップを味わうためのモノとして存在しているのではない。
燦々と太陽の光が降り注ぎ、素足で歩くのもままならないほど熱を帯びた浜辺。キラキラと光が反射する波間で笑顔が弾け、海水と潮風を浴びながらも体は火照る。そんな午後に食べる、あの氷。喉を通って体を冷やして潤す、色とりどりの魔法である。
なおここまで語りつつ私は果肉タイプもアイスクリームタイプも愛してやまないので、誤解のなきよう。
願いが叶うなら谷中のひみつ堂の味をすべてコンプリートするくらい通いつめたいくらいだ。
ちなみにさらに言うと、台北の寧夏夜市の真ん中あたりにある、二つのお店が隣り合ってるうちの確か左側、そこのマンゴーかき氷は絶品も絶品、天国だ。
完熟マンゴーの果肉を存分に味わう、黒糖のシロップを贅沢に味わう、程よく粗めの氷を丹念に味わう、全てが主役となっている貴重なかき氷だと思う。2度台北を訪れて2度食べ、2度とも悶絶した。ぜひ食べてみていただきたい。
あぁ今年も夏が来る。
かき氷、大好き。