たべもののはなし

食べることばかり考えてる

さくらんぼ、したたかに愛らしく

さくらんぼという果物は、「"可愛い"という言葉を果物にしなさい」と言われた神様が作り上げた中でもとびきりのやつだと思う。

 

佐藤錦はじめこの時期お店に出てくるさくらんぼはツヤツヤでぴちぴち、小ぶりなハート型に元気という元気がつまっている。果汁が弾けると同時に広がる甘くて良い香り、味は桃にもすももにも似ているが甘さが強くて蜜のような喜びがある。兵児帯のような、橙と桃色と赤が溶けて滲んで混ざったような色も美しい。

 

アメリカンチェリーは贅沢で豪勢。深く黒っぽい紅色に引き込まれそうになる。強い甘味が素晴らしく、さらに粒も大きいので満足感がすごい。果実というよりももはや外国のお菓子を食べているような気持ちになる。アメリカンチェリーをメインに据えたケーキやタルトも大好きだ。

 

缶詰のさくらんぼも最高。何よりもまずは色、見事に染め上がったピンクの浮世離れした鮮やかさは冗談や夢や歌のようである。思い描くさくらんぼはどうもこの色をしている。メロンソーダ、パフェ、あんみつ、そこに君臨するお姫様だ。味は、実はあまり個性がない。シロップの味、しかしさくらんぼとしての役割は全うしているからすごい。

 

どのさくらんぼも色、香り、味わい、見事すぎる。口紅にしたい。

 

そもそも桜という木の持つ可愛いへのポテンシャル、ほんとうにとんでもない。恐ろしいくらい。

 

まず花が可愛い。白という色が恋をしたらきっとあんな感じの薄い色づきになるだろうと思う。

咲きかけの桜を見るといよいよ訪れる春に心踊るし、満開で鈴なりのモコモコな桜は可愛さの塊、散る様子も絶品の愛らしさだし、花が終わったあとに若く小さな新芽が青々と出ている様子も可愛い。

 

昔国語の授業に出てきたがどうも桜は樹皮というか樹木の中のエキスが紅色だそうだ。それすらも可愛い。

 

余談だが桜の花というものはあまり良い性格をしていない気がする。儚げだけどどこか意地悪で、でも美しいと認めざるを得ない切ない表情をする感じ。お近づきになりすぎると寂しい思いをする存在だと感じてしまう。友達になるなら、よほどラナンキュラスとか、派手で孤独な花がいい。単にこれは私の好みだな。

 

しかしその、儚い美を象徴するような花と同じ木から元気と可愛いの理想形みたいな美味しい果物が生まれてくるのはとても不思議だ。以前どこか忘れたが旅行先で、ソメイヨシノではなくさくらんぼがなるタイプの桜をみたが心底驚いた。さくらんぼが見慣れた木に数えきれないほど生えている。お菓子の家を前知識なしに実際に見たらこんな気持ちになるのだろうか、違和感さえ覚えるような不思議な景色だった。良い思い出である。

 

夏の始まりにしては暑すぎる今日、冷蔵庫で冷やしたぴちぴちのさくらんぼに想いを馳せながらこのブログを書いている。

 

さくらんぼ、大好き。