たべもののはなし

食べることばかり考えてる

紅茶貴族に憧れるデスク千利休OL

「紅茶が好き」というよりも、「コーヒーよりも紅茶が好き」程度なのかもしれないが、それでも紅茶は好きだ。何って香りがいい。色水は水に色を写すが、紅茶はじめお茶は何よりも香りを移すものだと思っていて、とりわけ紅茶はその香りを移した水の素晴らしさを飲むたびに感じる。唯一無二、嗅げばすぐに紅茶と思うその香り。鼻腔からは胃を満たして、同時に喉も潤う。おまけに紅の名を冠するにふさわしい色味。美しい液体だと思う。

 

私はちなみにアールグレイが大好きだ。華やかだけではなく含みのある香り、わかりやすくも奥行きがあり香りを堪能しているうちに飲み終わってしまう。ホットもアイスも最高、ミルクと砂糖も抜群に合う。山椒と言われようと愛するね。

 

「紅茶が好き」と発言することは、他の様々な事象を抑えてハードルが高い。なぜか貴族的なイメージがあるうえ、あまりに深いその世界に専門性を持たずして好きと言っていいものか迷ってしまう瞬間があるのだ。

私は一介のOL、紅茶はティーバッグ専門。しかし私はあえて紅茶は「好き」だと言っていたい。なぜなら程度の差はあれ好きと言われる喜びを知っており、万物に共通する感情だと思うからだ。一片のお茶っ葉だってそれは変わるまい。私は紅茶が好きだ。

 

蛇足だが会社のデスクにティーバッグを取り揃えていたが故に千利休と渾名された。私は茶を入れることによって会社を茶室と化す。ちなみに一番オススメは広島のカープ紅茶。レモン風味で最高。

 

話を戻そう。紅茶はそう、優雅なのだ。英国貴族が愛飲したイメージだけでなく、「お茶する」と称して想起するのは紅茶だし、イメージはバッスルスタイルのドレスの貴婦人たちが紅茶を嗜む姿ではないか。ありとあらゆる洋風のお菓子とも合う。いや和風のお菓子とも合う、うなぎパイとか・・・とにかく優雅だとか品位だとかという言葉に紅茶は結びつく。不思議なものだ。

 

紅茶を通じて英国に優雅というイメージを持ってしまう。1950年代に核戦争の心配をする際、食糧と同じレベルで紅茶の備蓄を懸念されたなんて最高じゃないですか。文化ですよ文化。というよりもう生活。素晴らしい、お茶を飲むという行為を趣味とか超えて生活そのものの一部としてカウントしていきましょうねと思う。

 

世界史の事件の中でトップクラスに好きなのがボストンティーバーティーである。詳細や歴史的な流れは正直優雅とはかけ離れているが、ボストン港に大量の茶葉を投げ入れ「ボストン港をティーポットにする!!!!」ですよ。この感じ。茶税法に反対して茶葉を海に投げ捨てる!という行為に対してここまで派手で美しい言い回しがありますか。高校生の時に習って世界史の授業の間じゅう笑い転げたのはいい思い出。麗しき黒歴史である。当時の私ごと茶会してくれという気持ち。

 

それもこれも紅茶に伴う優雅さが引き起こす面白さであろう。名詞そのものに優雅さというイメージが付いて回るものはそう多くはないんじゃないか。美しいお飲み物だ。

 

紅茶、大好き。