たべもののはなし

食べることばかり考えてる

レモンを何かの例えに使えるようなセンスが欲しい

今年の夏はやけにレモンが美味しい。

 

サクレのレモン味を皮切りにレモンがめちゃくちゃ美味しく感じる。最近はもう、ドレッシングもスイーツもご飯もパンも肉魚野菜の味付けのアクセントも、何もかもにレモンがとにかくハマる。叙々苑ドレッシングにポッカレモンを混ぜていただいたのは特にサイコー。うだるようなというほどでもないが、しかし爽やかさとは程遠い今日日の気候に差す一筋の陽みたいな味だ。

 

しかし昔は、なんなら最近までレモンはいっかな〜派であった。レモンアイスとバニラアイスがあったら絶対バニラだし、牛タンだってタレで食べたりしていた。レモンが美味しいと感じるのって何歳からなんかな〜とか言ってた。

 

なんなら昔好きだったレモンはキャンディーしか思い出せない。

でもずっと好きだった。特に10代の頃は本当に、好んで手にとるレモンはレモンの飴だけだったかもしれない。将来っていつのことだよ〜と思いながら過ごした小学生時代も、なんとかここを抜け出すぞと思いながら過ごした中学時代も、青春ってなんだろうな〜とぼんやり思いながら過ごした高校時代も、レモン味の飴はささやかなハッピーだった。

 

青春といえばつい先日、ポカリのCMがTwitterのトレンドになっていた。個人的な気持ちを書くとあのCM本当に大好きである。弾ける笑顔と一生懸命な歌声のラストに来る、スマホ越しの空の一つ一つが少しずつ違う青。距離が保たれたそれぞれのステージで躍動する水とともに踊る姿、姿、姿。「離れていても繋がっている」とも「繋がっていても離れている」とも言えるこの現状に重なって、でもとても綺麗で…好きである。

 

ちょっと前、それこそまだレモンをそれほど好きじゃない頃だったら、どんなポカリを見ても最初に抱く感想は「ポカリみたいな青春わたしには無かったな」とか、「大人の作る青春って当事者にはそうそうないもんだよな」とかだった。実際「爽やか!白とブルー!空!」とは程遠く、「湿気!黒と赤!自室!」な日々だった。

 

しかし今年は違った。かくも美しい青春の概念、それは多様で、ポカリはその一つに過ぎない。私の日々もまた彼ら彼女らのような眩しい光の中にある。そんなふうに思ったのであった。大人になるにつれてだんだん過去の輪郭がフンワリしてきていることは間違いない。どんな風景もめちゃくちゃボヤかすと溶け合う色になっていくが、自分の過去でそれが起き始めているのかもしれない。

 

大人になることも過去の意味が変わることも、今のところ幸いにして良い変化ばかりなので全く問題なく受け入れている。もちろん最初からそうではなかった。くっきりしていたものが曖昧になることも、造られた美しさの枠に自分の存在を何らかの形で当て嵌めようとすることもすごく怖かった。

でも今の気分でいうとそれらは感じず、あぁ、なんかすごーく色々あったけど、いい日々だったな…みたいな 例えると一つ一つの光に誰かの生活があるのはわかりつつ、その景色を綺麗だなぁと思いながら少し眠い目で夜の飛行機の窓から見つめているみたいな感じが近い。

 

レモン、梶井基次郎は憂鬱さの対極みたいな描き方をしていた不思議な果物、青春をとうに過ぎて大人になった私はその爽やかさに身を委ねて今年の夏を生きている。青春に限らず何らかの概念を美しく表すことに憧れて手を動かすが、まだ道は遠い。

 

この日々もいつか輪郭がゆるやかに溶けていくのだろうか。そのことを愛しく思い続けられることを願っている。記憶に香りが伴うなら、今年の夏はレモンの香りだろうか。それはなんだか、嬉しいことだ。