たべもののはなし

食べることばかり考えてる

ホテルザッハーのザッハトルテがやってきた

ある日いつものように何も考えずにTwitterを眺めていると、オーストリア政府観光局さんのこんなリツイートが回ってきた。

ホテル・ザッハーのオンラインショップが、6/8まで60ユーロ以上の購入で送料無料のキャンペーン中❣️

軽妙な筆致に瞬く間に虜にされ、母の日とステイホームなGWにかこつけて注文することにしたのだった。ホテルザッハーのザッハトルテは人生で2度目になる。最初に食べたのは何を隠そう現地である。

 

幸運は自分で掴むものや偶然出会うものだけじゃなくて、ある日突然誰かからもたらされることがある。

その時もそうだった。年末だっただろうか、友人から突然「旅行に行かないか」という誘いが来たのだった。聞けば彼女の暮らす街の商店街の福引で一等賞が当たり、豪華な旅行券が当たったというのだ。二つ返事でオッケー大感謝である。旅行に行けることそのものよりも、またとないタイプの自分のラッキーを分けてくれたことがありがたかった。

行き先はいろいろ考えたが、券を使えばほとんど無料で行ける地も魅力的であったものの多少お金を払っても自力だけだとなかなか選択肢に入れない旅程にすることにした。中欧12日間の旅路である。大学生活の終わりの春休みのことだった。

以前もこの旅で食べたもののことを書いたのだけど(もし良かったら読んでみてくださいませ)、本当に美味しいものとの出会いしかない旅だったなあと思い出す。今でも笑えて仕方ないのだが、甘党2人で行って毎日各地のカフェでお茶したりハイカロリーなものを食べていたのにあちこち歩き回りすぎたせいで2人して痩せて帰った。

朝から晩まで楽しくて美味しくて綺麗で刺激的で、空気が乾燥しているからか結晶の形のまま髪や服につく雪の一粒までいちいち感動していた。この時はブダペストのフォアグラのことを書いたが、今回はウィーンのザッハトルテについて思い出す。

中欧の地にほとんど何の前知識もなかったのだけど、調べたら素敵なカフェと美味しいご飯と美しい教会がたくさんあるというウチら得すぎる地だったのだ。

中でもウィーンといえばそう、ザッハトルテ、それも名店ホテルザッハーだけでなく長きに渡ってライバル関係にあったDEMELもある。これはもう食べ比べだよねってはしゃいで向かったのであった。

 

最初に行ったのはザッハーの方だった。少々並んだもののすぐ入れたように記憶している。

 

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もう隅々までザッハー節が効かされていて、小さいお皿一枚に至るまで可愛いロゴが入っていた。

 

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なんて美しい。
フォークを通すだけでもわかるシャリっとした砂糖の感触。後から知ったことだけどこれは再結晶化というとても手間暇かけられたシャリなのだった。身震いするほど甘いと思いきやチョコレートが香り高くてアプリコットジャムの酸味が心地よい。添えられたてんこもりの生クリームに爆笑したが、どっこいこれが美味いのだ…甘くないのにまったりとクリーミーな感じを濃厚なチョコレートに纏わせる。

 

一方のDEMEL。

 

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こちらも素晴らしくおいしかった。甘い〜っ!と大喜びしたことをなんとなくいまも覚えている。中欧で入ったカフェはほとんどの場所で飲み物に食前酒ほどの大きさのお水が添えられていた。たぶん、何もかもがとっても甘いからだろうなと当時も今も思っている。

 

話を今に戻す。慣れない海外通販で頼んだ麗しのザッハトルテは数日後に海の向こうからやってきてくれた。見事な木箱にはいつか訪れたザッハーの建物が刻印されていてとても素敵だったのと、蓋がしっかり閉まるちゃんとした造りであっぱれ。

 

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久々に食べたそれはやっぱりシャリっと甘くて、無糖の盛り盛り生クリームが見事に調和するところまで一緒だった。夫と、初めて食べた日の思い出と、いつかお店で食べたい未来を話しながら食べた。

 

そして翌日、早めの母の日ということで夫とそれぞれの実家に届けに行った。母の日は好きな文化だけどだからって毎回カーネーションじゃなくてもいいよねえと思ってピンクの薔薇を添えて届けたところ薔薇が好きな母には大層喜ばれ、昔から実家で使っていた花瓶が実はかつて母が若かりし頃の思い出の品だったことを初めて明かされるなどして不思議な気持ちだった。

 

物を作る仕事をしていると、世の中のあらゆるものは誰かが作った物なんだよなあと時々我に帰るみたいに思い出す。ザッハトルテももちろんそうだけど、作った人とは多分この先お会いすることはそうないだろうし、その方が作ってくださったザッハトルテの先に何十年も前の思い出話を聞く日本の私がいることも多分ご存知ないだろう。

 

時々、私がものづくりを続けることの意味ってなんだろうと思ったりするのだが、こんなふうに美味しいケーキの周りに、いつか行きたい国だとか、遠い昔の思い出だとか、一見関係ない話がぽつぽつと生まれることを考えると勇気が出る。作るものが、いつか誰かのささやかな喜びのきっかけになれたらいいと改めて願うのであった。

 

ザッハトルテ、大好き。