たべもののはなし

食べることばかり考えてる

メロンソーダ、強い子の宝石

綺麗な飲み物である。

エメラルド色の冷たく透き通った液体の中を、ガラスの底から細かな銀色の泡粒がキラキラと上っていく。白地に赤の細いストライプのストローから少しずつ口に含むと、見えないはずなのに鮮やかなグリーンが弾けていく。

 

働きすぎてしまった時や若輩者なりに社会の理不尽を感じた時、恋が上手くいかない時など、大人になってしまったが故に感じる疲れを覚えるとメロンソーダを飲みたくなる。

 

メロンソーダは永遠に若い。子ども時代の憧れの味がするから、いつ飲んでも舌が子どもになる。それもただの子どもではなく、憧れを手にした強い喜びを知っている子ども。かくしてメロンソーダを飲んだ弱い大人である私は、ほんの束の間、強い子どもとなっていられる。

 

この世界に存在する小さな魔法は数あれど、メロンソーダはその中でもトップクラスではなかろうか。メロンソーダと対峙するといつも、自然界におよそ存在しないであろう美しく甘い液体が、この身体の、この血の一部になることを不思議に思う。美しい色を食物として楽しめるのは人類の叡智であり贅沢だ。そんな意味でも、メロンソーダを飲むと勇気付けられる。私はこんなに美しい飲み物を作った存在と同一の生き物である。なんと誇らしいことだろうか。

 

大げさな話をしているのは百も承知。人によってはメロンソーダはたかだかドリンクバーのひとつでしかないだろう。

 

しかし何故こんなにも熱っぽく語るかというと、やはり私にとっては子ども時代の憧れという意味づけが強い気がする。ありとあらゆる現実というものを全て知らずして将来何になりたいか語るのと、熱量的には変わらないのだ。

 

ちなみに私は一番最初に抱いた夢は天文学者だった。今は全く違う職業を目指し、選び、歩み、こよなく愛しているが、オリオン座の三つ星の煌めきを目の当たりにした幼き冬の日と同じくらいの感動を今も持てているのか正直わからない。確かにその衝撃を覚えてはいる。そしてあの頃もメロンソーダは美味しい魔法だった。

 

ちょっとメロンソーダを美化しすぎている気がするので下世話な話もするが、ドリンクバーでコーラと半々で混ぜると悪い魔法使いが大鍋でかき混ぜてる液体のイメージそのもののような本当に不気味な色になった。ハリポタ汁と名付けられたその液体の味はそこそこ美味しかったが、とにかく色味が変でゲラゲラ笑っていた。

 

そんな些細なことも今や遠い日だ。しかしその時の心と舌を、メロンソーダはもたらしてくれる。

 

メロンソーダ、大好き。