たべもののはなし

食べることばかり考えてる

きんぴらトライアンドエラー

きんぴらはとても好きだ。甘辛いゴボウはなんと美味しく胡麻油はお野菜にかける魔法と思いながら毎度頂いている。

 

初めて母がきんぴらを作った日のことは今も思い出せる。

 

母は料理があまり得意でなかった。美味しいのももちろんあるが、どこか味付けが惜しかったり食感が悪かったり。その日のきんぴらも、ごぼうは硬かったりブヨブヨだったりしたし、味がないのに変な甘い匂いがしたり、それでいてものすごく大量だった。本人も「これは…」と言っていたほどである。

 

ここで、母の話。彼女は仕事をするために生まれてきたのだと思うこともあったほど、仕事ができる。

母の職業における技術はもちろん、アイデアの閃き、人渡り、営業力、トラブルの際の立ち回り、どれにおいても相当なプロフェッショナリズムを持ち幾多の仕事を成功に導いてきた物凄い人。私も今まで仕事の悩みやトラブルを沢山相談させてもらってきた。

 

そんな母は根性と負けん気、成長が凄い。そして、アドバイスを聞いて従うと言うより我流で足掻き最善の解決策を見つける。そして回数をこなす。

彼女を独自の成功に導いてきたのであろうその一面は、きんぴらにまで及ぶのであった。

 

そこから、きんぴらは沢山作られた。そして確実に毎度美味しさをアップデートしてきていた。聞けば、こうすれば良いのでは?の試行錯誤を毎度繰り返しこうなったという。最終的にゴボウを一度蒸してから作るという方法に落ち着いたきんぴらは成る程とても美味しくなった。

 

大人でも、どんな分野でも、成長ってできるんだと思った。きんぴらと言うよりも母に励まされた気持ちである。

 

子どもの頃から、「成長できるのは今だけ。大人になったら下がる一方。だから修練しなさい」という言葉をあらゆる大人から何遍も何遍も何遍も繰り返し聞かされて育ち、きっとそうなら悲しいなと思いながら子ども時代を過ごした。

 

しかし大人になった今、私という人間は子どもの頃と地続きで、セミの声を聞くとセミを取って遊んでいた頃のように心が反応したりする。大人になったということを意識することも多々あるが、基本的には地続きという意識が強い。

 

そして、技術や人間関係の中で成長を感じること、未だにある。伸び率で言ったらそりゃ子ども時代には勝てないかもしれないが、大人になったら下がる一方なんてことは全くない気がしているのだ。

 

そして、それは母の年齢であってもそうなのだろうとその時思ったのだ。それはたいそう、私にとって有難いことだった。

 

今、とある必要に迫られて日々料理をするようになってから母は格段に料理が上手になった。あらゆるものが美味しい。その上、仕事もどんどん新しい分野を開拓しては成功させている。

 

母を見ていると人間を成長させるのは若さのみにあらず、好奇心と向上心と積み重ねを厭わないことが人間を成長させるのだとつくづく思わされ、ハッいけないいけない頑張らねばとなる。

 

すごい人なのだ。尊敬している、きんぴらを見るたびそのことを考える。

 

きんぴら、大好き。