たべもののはなし

食べることばかり考えてる

オムライスと冬の記憶

美味しさに衝撃を受けたという体験はオムライスが最初かもしれない。

 

なんてことはないいつもの食卓に上ったオムライス。祖母が夕飯を作ってくれていたが、彼女が作るオムライスは焼いた卵で包むというよりも卵を乗せる作り方だった。卵オンザチキンライスという感じである。

 

一口食べた時の喜びは今も覚えているほど。ひき肉の香りとタマネギやピーマンの味わい、ケチャップの旨みを凝縮したチキンライスに卵が円やかさを加える。スプーンの上にあるのはまさにご馳走、一瞬で虜になった。

夢中で食べ、その日はおかわりもした上にお茶碗にもう一杯チキンライスを食べた。勿論おなかははち切れんばかりだったが、もうご飯というよりも幸せを食べていたような気さえしたのでとても嬉しい夜だった。祖母も嬉しそうだった。

 

それからというもの、オムライスを作ってくれる頻度は増えその度に大鍋いっぱいのチキンライスを作ってくれるようになった。

当然美味しいのでたらふく食べる。オムライスは魔法、チキンライスは麻薬だ。スプーンが止まらなくて物理的に入らなくなるまで食べ続けてしまう。

 

当時はにわかには信じられなかったが、加齢とともに食欲は少しずつ減っていく。私もその例に漏れず、今の食欲も食べる量も小・中学生の食べ盛りの頃の半分くらいだ。加えて習い事や塾などで家でご飯を食べる時間が少しずつ減っていった。

 

それでも祖母は大鍋いっぱいのチキンライスを用意してオムライスを作ってくれていた。もうオムライスを作るときはあの鍋と決まっていたかのように。

台所に残された大量のチキンライスを見、申し訳なさとプレッシャーを感じたこともある。勿論食べるととても美味しい。冬に冷え切ってなお、美味しかった。

 

祖母の料理にまつわる思い出は愛情の記憶だけど、オムライスをはじめ私の喜ぶ顔を見て沢山作ってくれた料理はどれもが懐かしい。

 

最近、自分で驚いたことがある。

 

本当に適当、目分量でチキンライスを作り、卵を乗せたらほとんど祖母の味だった。塩加減やケチャップの色味、卵の焼き加減などを体が覚えているものなのだなぁと感心した。

 

そんなわけでめっきり食べる機会は少なくなったがオムライスという食べ物は私にとって特別だ。

オムライスを食べ、オムライスのように布団にくるまってぐっすり眠り、オムライスのように元気な表情で今日もいきたい。

 

オムライス、大好き。