たべもののはなし

食べることばかり考えてる

ピクルスの味、異国の記憶

インドネシアには酸っぱいものがないんだよね」

 

留学に出かけていた友人と久しぶりに会いがてらの花見をしたときのことである。今年の春は涼やかで、盛りと思われた3月の終わりは桜はまだ三分咲きだった。

 

彼女がどれくらい最高かというと、最寄りからバスで少し行ったとこに桜の名所があるから駅前で何か買っていこう、とさらっと提案してくれたりするのだ。その最高さにあやかって、贅沢をしよう、つまり駅ナカ成城石井で買い物キメようとふたりで勇んだ。

 

甘酒は絶対だよね、うん絶対、とカゴに入れ、ふと彼女は「梅干しが食べたいんだよね」とカゴに入れた。ご存知だろうか、成城石井には一見梅干しがないと見せかけて高級梅干しがコーナーにまとまっている。そこからあーこれ美味しそう、あーこれいいな、と我々がカゴに入れたものが、下記。

 

・色々な種類の豆ときゅうりのピクルス

・瀬戸内レモンいか天スナック

・梅干し(しそ)

 

もう全部酸っぱい。全部。しかも何がすごいって並べて改めて眺めるまで全部酸っぱいことにあんまり気づいてなかった。加えてここにインドネシアみやげのタマリンドなる果実の砂糖漬けが並ぶ。ちなみに、酸っぱい。

 

バスでたどり着いた桜の名所なる場所は川のほとりだった。ここかな?ここか?と思いながら歩くとみるみるうちに桜の枝に青空を覆われる。三分咲きですらこんなに美しいならば咲いたらそれはそれは見事だろうと思われた。気の早い花見客は我々だけではなく、屋台が連なり人々が舌鼓を打つ。みんな笑顔だった。そんな景色を対岸に眺めながら、人の少ない方にレジャーシートを敷いて乾杯した。

 

インドネシアの話はほんとうに素敵だった。出てくる地名の響きも美しく、人とのご縁を大事にしたら歌を歌う機会がとても多くなっちゃった話だとか、いわゆる観葉植物な木々が野生で生い茂っている話だとか、彼女の言葉を介して知るインドネシアはそのまんま愛しかった。最後の日に録ったというお祈りの情景の録音なんて、素晴らしかった。歌うような祈りが日常にある。しつこいようだが彼女の語るインドネシアを私はとても好きだ。

 

そして口元は酸っぱかった。からの冒頭のシーンに戻る。インドネシアには酸っぱいものがないんだよね。うん、本当にないな。大体みんな甘くて脂っこい。そして酸っぱいものをあまりおいしいと思わないみたい。だからね、帰ってきた時いちばん最初にお寿司食べて、そしたら、酢飯が美味しかったんだよな〜…。

 

酸っぱいとひとくちに言ってもその酸っぱさは色々だ。ピクルスの酸っぱい、梅干しの酸っぱい、瀬戸内レモンの酸っぱい、タマリンドの酸っぱい、全部違う。そして全部とてもおいしい。アイヌの人々には雪を表す言葉が沢山あるとかそういうのに似てるね、と言いながら酸っぱいものを沢山食べた。頭上の桜が私たちのいるうちに花開いたりと、なにもかも丁度良くてとてもいい日だった。

 

ところでピクルスの酸っぱい、私はちなみにとても大好きだ。マクドナルドのピクルスは抜くことができても増やすことができないということに何でや!となったこともある。あれ本当に美味しい。ピクルスあるからハンバーグの旨みも際立つってもんだと思う。ピクルス的な漬け方は大体どんなものも美味しいと彼女がいうもんだから俄然試してみたりしている。

 

しかし私の母はピクルスが大の苦手だ。曰く、かつて乗っていた飛行機が不時着して米軍基地の滑走路に降りた際、そこにあったハンバーガー屋さんで食べたピクルスが幼き時分にあまりに強烈、恐ろしいほどの風味で、以来トラウマなんだという。気の毒な話である。

 

ピクルス。ピクルスを通して聞く異文化の話はこれだけになるかと思ったら、インドネシアの思い出が増えた。そもそもが日本の食べ物ではないけれど、他の食べ物に比べてやたらと異国の記憶の輪郭がくっきりしている食べ物だ。

 

ピクルスにまつわる遠い国の記憶を聞くことが、これからも沢山あるといいな。

 

ピクルス、大好き。