梅干しスーパースター説
毎日お弁当だが、梅干しは欠かさない。
殺菌がどうのこうのというより完全に味が好きなので入れているが、実は梅干しそのものというよりも梅干しが乗っている周囲のご飯が好きなのだ。
炊飯器から出したばかりのご飯を少しくぼませて梅干しを乗せ、酸味を中和させるためにお醤油をチョンと垂らす。海苔を乗せるも良し。
そうして蓋をすればお昼時のご機嫌は約束される。
ところで、酸味はそれ単体で存在するよりも、塩味や甘味と同時にある方がより多くの幸せをもたらすと思っている。
そして酸味と塩味を思い切り尖らせて両立させたのが梅干しという食べ物だろう。
従って梅干し単体だけを美味しく食べ続けることはわたしには難しい。
しかし、例えばサッと茹でたオクラと刻んで和えたり、焼いた鶏肉に添えたり、イワシと一緒に甘辛く煮たり、何よりご飯に乗っけたりするのは大好きだ。
その点、梅干しは「スペシャリスト」といわれる存在とよく似ている気がしてならない。
「なんでもできるは、なんにもできないと一緒。たったひとつを極めれば、それにこそ需要がある。」
ものづくりを生業とする私は昔からよくこんなことを言われてきた。
なんでもできる方が楽しいに決まっていると思っていたが、この年齢になると周りはそれぞれ専門家になっておりそれぞれの道を歩んで誰かの役に立ちつつ、きちんと自分の個性を発揮している。
そういう意味で梅干しは、風味が尖りきった結果どんなに薄めても抜群の風味としてその他の食材を彩り、接触する白米のうまみを増幅し、調味料と混ぜても香り豊か、それでいてなお果肉はどんなに小さく刻まれても柔らかで酸っぱい。ちょっとでも味や香りがすると梅の名を料理名に添え、メニューの種類してすら機能する。天才的だ。
素晴らしいライブの際、歌手だけでなく楽器のパフォーマンスや音響や照明やグッズ、果ては場の温度やそこにいる人々までも素晴らしいショーの一部だとさえ感じさせられる。
優れた専門家は自分だけでなく、携わる全てのものを素晴らしくさせるとつくづく感じ、腕を磨くことの真の価値は他者と交わることで生まれるとさえ思う。
梅干しにもそんな気概があるのだ。
また梅干しは作られる際の手間も時間もかかる。時に干されるその姿さえスペシャリストへの道にすら思えてしまうような食べ物だ。
私もかくありたい。
梅干し、大好き。