たべもののはなし

食べることばかり考えてる

石焼き芋は運頼り

この世界に存在することはわかるのに会えなくて、存在する事を疑うほどのものに実際に会えた時の喜びは大きい。

 

石焼き芋屋さんがそれに属する。

 

駅前とかに停車して焼き芋を売ってくれるタイプの石焼き芋屋さんではなく、道路をゆっくり走るタイプの石焼き芋屋さんと全然会えた試しがない。

 

一度だけ会えたことがあるが、あれは今でも奇跡だと思っている。

 

いつも遠くから聞こえてくる、あの売り声。
それがいつもとは比べ物にならないほど、ものすごく近くで聞こえて、今なら会えるかもとピンクのボウルを片手に家を飛び出した幼き日の冬。

初めて会えた石焼き芋屋さんは家の前を少し通り過ぎたところにいた。

 

すごく不思議な気持ちであった。赤々と燃える石の向こうに芋の姿なんて見えなくて、でも今おじさんがガサと出した芋は確かにその石の中にいたのだ。

美味しかった。その頃は蒸したさつまいもしか食べたことがなく、むっちりとした食感と蜜のように纏わりつく甘さに心底驚いた。遠赤外線なんて言葉を知る前の話である。

 

本当どのタイミングで行けばいいのだろう。

あっ歌聞こえる!となっても家の近くにいるわけではなく、会えるとは限らない。

待っているうちに声が遠くなっていったら寂しい。

石焼き芋やさんが家の前を通るチャンスを逃さないコツとかあるのだろうか。

尋常でない爆音で聞こえたら家の前にいたりするのだろうか。

或いはどこにいても位置を特定できる精巧な耳と、走るトラックを追いかける脚力が必要なんだろうか。

 

それにしても石焼き芋屋さんのあの歌、最高すぎないか。
どうも私には、機嫌の良くて明るく、歌のじょうずな女の子が石焼き芋を心から喜んで思わず歌ってしまったような旋律に思える。

石と炎で焼き上げた世にも美味しい芋に出会った時思わずあんな歌を歌えたら、どんなに人生は素晴らしいだろうか。

 

今、冬の日に石焼き芋屋さんの声が通り過ぎるのを聞く機会は減った。
代わりに増えたのは、駅前にいる石焼き芋屋さんのトラック、そして行きつけのスーパーマーケットの野菜売り場にある石焼き芋コーナーである。石焼き芋をウリにした専門店も多いらしく、冬に行った焼き芋フェスなるイベントは大盛況であった。

 

石焼き芋は本当に美味しい。漂ってくる香りだけで幸せになれる。

お芋も前と比べて種類が多い。安納芋なんてもう格別。

お芋の神様と農家の方につくづく感謝、豊穣の味である。

 

絶対に会えるという確信を持って会いに行けるのは幸せなことだけど、それでもやっぱり焼き芋屋さんの声を聞き、いつの間にか去ってしまう現象に思いを馳せてしまう。
チャンスの神様みたいなものだったのかもしれない。

 

石焼き芋、大好き。