たべもののはなし

食べることばかり考えてる

せいろ蒸しグルメピーポー

蒸気というのは本当に人間に味方してくれてきた。蒸気機関によって近代工業は目覚ましい発展を遂げ、蒸し器によって食材をふんわり柔らかく美味に仕立て上げる。

 

蒸すという調理が物凄く好きだ。手間はかかるが水と熱という原始的な要素にもたらされる味わいの愛おしさたるや。

 

蒸すと、なんであんなに美味しくなるんだろう…肉は余計な脂が落ちて柔らかく火が通り、野菜は旨味がググッと凝縮されつつもみずみずしく色も鮮やかに食べやすくなる。柔らかくなりすぎないのは水につけるわけじゃないからだろうか。時々凄まじささえ感じる。

 

蒸した食材はシンプルに食べたい。ごま油と塩、酢醤油、甘味噌、もういっそ何もつけず。食材の旨味そのものを感じるには、ものによるとはいえ生食よりも蒸す方が適しているようにさえ感じる。

 

せいろ蒸しはそこに加え、見た目のギャップが非常に愛おしい。せいろは、木と竹の優しいブラウンの、蒸し器。文字にすると「蒸篭」だが、あまりそこに食の目的を見出さなくともステキな器である。逆に、食そのものを連想しなくても良いくらいのデザインだ。

 

金属の鍋の上に積み重なったせいろ、中身はなんだろうとワクワクしながら待つのが好きだ。竹の網目から蒸気といい香りがシュンシュン吹き出てたまらない。頃合いを見て蓋を開けると…なんとまぁ、宝箱みたいに食材が食べ頃を迎えている。立ち上る大量の湯気は食材と、ほのかに竹の香り。あの瞬間がたまらなく好きだ。

自宅で蒸すのも最高に好きだし、お店にせいろ蒸しがあると目を引く。水と熱、そして時間。美味しく仕上がるのは魔法のせいじゃない。

 

突然だが、今お休みをいただいて北海道に来ている。昨日は小樽に行ったが、港町の食材といえば海鮮で、生食の王たるお寿司が絶品だった。

 

そして今日は旭川富良野がそう遠くないので大量に野菜を購入した。実りの秋、じゃがいも数種と玉ねぎとかぼちゃが大量に箱詰めされて配送可能な大層イケてるお土産である。

 

これらを料理するなら間違いなく蒸したい。食材そのものが美味しくて、しかし生では食べづらいならば蒸すのが一番だと思う。そしてそこに竹の香りがしたならばもう、もう…。北海道には家に帰る楽しみまでもらってしまった。

 

美味しいものにかける情熱というのは人をとことん動かす。蒸気での調理を求めて竹を編んだ先人もきっと超絶グルメだったな、と思う。

 

せいろ蒸し、大好き。