たべもののはなし

食べることばかり考えてる

ソースは一体どこまで

ソースと聞いて何を連想するだろうか。

私にとっては、物心ついた頃よりソースといえば黒いアレである。ブルドッグだったりイカリだったりとメーカーは色々あるが、とにかく角の丸い四角柱の容器の黒い調味料がソースである。

 

思えば、一番最初に食卓における洋の「要素」として認識していたのはいわゆる中濃ソースだったと思う。我が家に和食として存在する料理のほとんどに合わないが、洋食として並ぶ品々には本当に素晴らしい。これは洋を煮詰めたものだと子供ながらに思っていた。

 

また、真っ黒なのにパッケージにフルーツがてんこ盛りに描かれているのも刺激的だった。うっそつけ〜〜〜〜!!と全く信じていなかった(今ならば、へえフルーツがこうなるのかとなんの疑いもなく受け入れてしまうだろう)。しかしその昔、様々な事物のはじまりと作った人の漫画がうちにあり、そのうち1つにソースの項目があった。どこか外国のキッチンで、果物の皮などを瓶に詰めて戸棚に入れて忘れていたら美味しくなっていたのが始まりだと書いてあった。本当なら楽しい話だ。

 

やがて私は新たな出会いを果たす。

「なんかこのソース、焼きそばの味がするぞ…!」

そう、私が出会ったのはオタフクのお好みソース。焼きそばの、たこ焼きの、お好み焼きの、あの美味しさは貴方でしたか!とカエルだった王子様の正体に気づいたかのごとく感激した。これは本当にすごい。何にかけてもたこ焼きやお好み焼きの味になる魔法だ。私の好きな食べ方は、春先にキャベツをザク切りしてふわりとラップをかけレンチン、そこにお好みソースとマヨネーズ、以上。これが、まぁ、美味しいのだ…お試しあれ。

 

さらなる出会いもある。てっきり中濃ソースがソースだと思っていたがそうではなく、様々な料理にかかっている意匠を凝らしたあらゆる液体はソースなのであった。料理本を試す時、お出かけした時、わたしは新しいソースにいつも出会う。フルーツソースなんて言葉もある。香りの強い肉を胡椒を効かせて火入れしたやつに甘辛いベリーソース、みたいなやつ最高に美味しかった。

 

一体なにがソースでなにがソースじゃないのか、定義は一応あるだろうがわたしの知るところではない。しかし確かに言えることは、食卓の中濃ソースは「いわゆるソース」として十分な機能を果たすだろうということだ。いろんな「ソース」を食べてきたが、甘いものはともかく大体のお料理に中濃ソースは美味しく絡むと思う。洋を煮詰めた、最大公約数なのだ。

 

ソース、大好き。