たべもののはなし

食べることばかり考えてる

ライチとお洒落

オシャレな人に接するたび、「オシャレな人はいったいどこまでオシャレなんだろう?」という疑問を抱く。

 

本当にオシャレな人は、思いもよらない些細なところ、ディテールのディテールまでオシャレ。私はどうにもオシャレというものは疎いが、彼ら彼女らはきっと生まれつき、もはや遺伝子の二重螺旋構造まで多分オシャレだろうなと思う。

 

挙げればきりがない上に多様だが、例えば笑うときの首の傾げ方だったり、口紅のツヤの量だったり、靴下の素材感だったり、コートの丈だったり、カバンの金具の古び方だったり、手書きの文字のニュアンスだったり、果てはかつて一度、メールの署名にさえもその疑問を抱いたことがある。

 

中でも飛び抜けて覚えていることがあるのだ。

 

学生時代、時折宅飲みというよりはホームパーティーをしてはみんなでワイワイやるのがとても好きだった。持ち寄りパーティーというものはとても楽しくて、料理上手な子は自宅で作ってきてくれたり、好きなお菓子やお酒のこだわりを見せたりする。意外とロックアイスが重宝したりして。

 

ある日の集まりで、いつ会ってもどこですれ違ってもとびきりオシャレな友人が持ってきたものがある。

 

それが、なんと、ライチをひとパック。

 

オシャレ!いまも鮮やかに思い出せるくらい、素晴らしいチョイスだった。

確かその時は家主の子もセンスが良く、そのライチをガラスの小さなボウルに盛り付けてくれた記憶がある。食卓に良く映える独特な紅色は唯一無二の存在感を放っていた。もともと好きだったけれどずっとずっと好きになった、ライチってなんて素敵なフルーツなんだろうと思った。

 

パーティーとなるとどうにもボリューミーな食べ物が多く、そんな宴の最後に頬張った透き通る白い果実の、溢れる果汁から立ち上る南の香りの、なんと爽やかなことよ。みんなでうっとりしながら食べた。

 

ライチは幸せな時にこそ美味しく食べられる。悲しみに暮れていてはライチを食べる勇気はない。楽しくて楽しくて仕方ない場にもたらされたボウルに山盛りのライチ。あの夜はすてきだった。

 

そしてその時も、オシャレな人はパーティーに持ち寄るものさえオシャレなんだ…とたいそう驚いたものである。何も手をかけないけど抜群にその場に似合う。オシャレな人は、自分自身を含めたあらゆる事物に似合うものを選ぶのが上手なのだろう。素晴らしいことだ。

 

ライチ、大好き。