たべもののはなし

食べることばかり考えてる

とろけるチーズ、チーズと知性

茶色いパッケージを開けると出てくる一見なんの変哲も無いスライスチーズ。薄いフィルムを開くとツヤのなさに気づく。それを一枚ないしは二枚、食パンに乗せてトースターでチン。出来立てのうちにサクッと頬張れば滑らかでアツアツのチーズが絡まって本当に美味しい。このチーズを「とける」じゃなくて「とろける」と形容した人は本当にすごい。

 

小さい頃とろけるチーズはそのまま食べると全然美味しくない気がして、苦手とは言わないまでもいわゆる普通のやつのほうが好きだった。しかし今ならわかるのだが、とろけるチーズは「そのままが不味い」のではなく「あたためると美味しい」なのだ。それは配合されているチーズの種類と配分によるがつくづく不思議で魅力的な食べ物であると思う。

 

チーズはワインのように、そして人によってはそれと同等な、教養とかセンスとかそういったものを駆使して味わう食べ物かもしれない。その乳が採取された自然環境とかもこだわる人はこだわるだろう。

 

大学時代に出会った、「アートで世界が一つになるとかいう人はラテン語話せたら世界が一つになるって言ってんのと同じですからね!」なんてキレのある教えを下さった芸術史の先生に心から憧れていたが、彼は毎月いいチーズがランダムで届く定期便を買っているそうで、そのことをものすごく嬉しそうに語っていた。

チーズ自体の味わいも色々だろうが、しかし先生のような人は舌だけじゃなくてその教養でもチーズを味わうのだろうなと思ったことを覚えている。

 

チーズは大好きで、いろんなものを食べて来た。どんな個性もどんな組み合わせも麗しく、チーズという食べ物は自然がもたらした奇跡だとその度つくづく感じるものだが、しかし私はどんなに凝ったチーズを食べても時々安売りされてたりするとろけるチーズに対する愛を忘れることはできない。もっちりと滑らかであたたかく優しい味がしてたまらない。そこに教養やセンスや五感の許容範囲の広さなどは存在せず、ただ優しくひたすら安心する味わいがあるだけだ。でもきっと、だからこそ好きなのだとも思う。

 

あらゆるクセも個性も愛する感受性の必要さと、ひたすらの優しさに包まれることを喜ぶ気持ちと、両方チーズに教わった。どちらも、ずっと持っていたい心の在り方である。

 

とろけるチーズ、大好き。