たべもののはなし

食べることばかり考えてる

ルビーグレープフルーツと存在

名前をつけることはそのものが世界に存在することを示す行為だ、というのはどこで見かけたか忘れたがなんとなく覚えてる言葉だ。

 

ルビーグレープフルーツという名前が好きだ。赤い果肉というそれ以上もそれ以下もない事実に対して宝石の名を与えられるセンスが悔しいほど羨ましい。本当なら、ルビーの赤は食べるには適さないだろう。しかしどうだ、ルビーというには淡いルビーグレープフルーツの色、しかしルビーの鮮やかさにも負けず劣らず弾ける生命力が色に現れたような食べ物だ。

 

母が時々、輪切りにしたグレープフルーツから果肉と果汁をスプーンで丹念にほじくり出し、ガラスの器に盛ってくれることがあったが、思い返せば一番シンプルな形で忙しい朝に時間をかけてくれた愛の形を感じられる食べ物だったと思う。

 

不思議なことに、うちはいつもグレープフルーツはルビーを選んで買う。なぜか家族のほとんどがルビーの方がグレフルは甘いと信じてやまないしそう感じながら食べている。

 

冷蔵庫でよくよく冷やしたグレープフルーツは果肉をもぎ取りながら食べるもよし、絞ってジュースにするもよし。元気で綺麗な赤色が体の底から元気をくれる。体じゅうの細胞が

 

「ルビーグレープフルーツ、大好き!!」

「「「ダイスッキ〜〜〜〜〜〜」」」

 

という気分だ。実によろしい。自然が作り、人が見つけた奇跡という意味では宝石もフルーツも近かろう。赤い果肉にルビーも名付けた人がいることもまた奇跡、いろんな奇跡に生かされて今日も元気でいられることがうれしい。

 

ルビーグレープフルーツ、大好き。