たべもののはなし

食べることばかり考えてる

つくねに見る驚く喜び

つくねとは、ふわふわで丸いの、という印象しかなかった頃に、その材料が時に骨も含むひき肉だと知った時はたいそう驚いた。

ハンバーグとか、餃子とか、そういうのと同じようなお肉がどうしてこんなにもふわふわになるの!と感動すらした。

 

今でこそなぜなのかはわかる。山芋や豆腐をよく混ぜてあったり、ひき肉はひき肉でも鶏ひき肉だったりするからだ。

 

しかし今度は別の驚きがある。材料は知っているはずでもつくねはお店によって千差万別、天使の肉かと思うくらいフンワフンワのものもあれば軟骨でコリコリなものもあるし、野菜がどっさり入ってるものもレバーが主役のやつもある。どれもがまぁ、本当に美味しく、うわ〜〜こんなつくねもあるのか〜〜!という嬉しい喜びがある。焼き鳥だけでなく鍋や煮込みなどでもつくねは美味しいというのも驚きだ。

 

突然だが、恐怖の正体は無知であるというのは私の持論である。おばけは何者か知らぬから怖い、初めての場所はよく知らないから怖い、暗闇は周りに何がいるかわからないから怖い、聞きなれぬ言葉ばかりの会話は意味を知らぬから怖い、などなど、「知らない」「わからない」ことで呼び起こされる「怖い」はだいたい近いとこにある。

 

ところが今、つくねのことを書いていて、「喜び」「驚き」も知らない、わからないからこそ存在するのだと思った。何かを知ることで喜びが制限されるなどという話ではない。知らないことは決して悪ではなく、ポジティブな感情を引き起こす要因でもあるのだ。

 

私は正直、あまり多くのことを知らない自負があるが、知らないことを恥じず、そこになんでも書き入れられるノートを持っている強みのように携えてどこへでも行きたい。そうして驚きを介して新たに得た知を、また次の驚きや喜びとの出会いにに活かせるように持っておきたい。

 

つくね、大好き。