たべもののはなし

食べることばかり考えてる

ノンアルビールを飲んででも

基本的にカロリーを取ることを全く厭わない。代わりに、ノンなんちゃら系やゼロなんとか系を昔からあまり好まない。

例えば、ノンシュガー。甘いのにお砂糖じゃないという点において科学の発達を実感するけれど、甘いものを食べたいときは糖分を摂りたいときとイコールである私にとって、ノンシュガーはある種の不気味さを覚える。いわば偽物。甘味を求めて味わっているはずなのに、栄養価や満足感として体に取り込まれていかないうわべだけの満足感を覚えて糖への欲求を科学で窘めてるような気がしたり、結局のちのちにちゃんとお砂糖を取ったときに実感する美味しさに安心していたりするもんだからノンシュガーならぬ実シュガーを求める。コーラ飲むなら100対0で真っ赤なラベル。どうしてもお砂糖避けたいならはちみつかオリゴ糖。私にとってお砂糖は悪ではなく栄養価なのである。

 

と、前置きが非常に長くなったけど、ノンアルビールだけはノン族の中でも別という話だ。別というか、根本的には思想は同じ。ビールの味がするのに酔わない科学。でも、絶対的な違いがあるのだ。

 

それは、アルコールは栄養じゃないと思い込んでいること。糖分、塩分、鉄分、、といったような物質と違って、私は実感として生命の維持にアルコールの不可欠を感じていない。むしろ少し苦手な存在と言っても過言ではない。それゆえ普段はウーロン茶やジャスミン茶で食事を過ごしているが、ビール。ビールを飲みたくなるときというのは、不思議なもので存在するのだ。

 

幼い頃なめただけでもぶっ飛ぶほど苦味を感じたビール。そう大量には飲まないがチェコで飲んだピルスナーウルケルが本当に美味しかったことや、就活期に毎日エビスビールを1本飲んで贅沢感を武器に不安と戦っていたり、北海道にてジンギスカンとともに樽生をめいっぱい飲んで世の幸福を凝縮したような気持ちになったりしたものだから、ビールに対するポジティブな印象込みで求めるシチュエーションは訪れるのだ。不思議なものである。自身にとってなくてもいい栄養であることは承知の上で。

 

ビールを飲むことで得られる幸せを思いっきり感じたいが、これ以上アルコールを摂るにもな、、というとき、ノンアルビールを飲んででもビールを選ぶ。シチュエーションは大きな肉をじゅうじゅう焼いているときだったり、暑い夏の日に塩気の濃いおかずを美味しく感じたときだったり、お酒が大好きな友人と久々に再会したときだったりと様々だ。「いわば偽物」はあんまり進んでは選ばないけど、概念としてビールと共にありたいという願いがそれを上回ったならば躊躇なく頼んじゃう!だってそれは、幸せな瞬間だから。

 

従って、ノンアルビールを飲むとき、ノンアルビールを飲んででも得たかった幸せがあるということであり、お酒が回る心地よさとは違った本質的な楽しさを場に見いだすときなのである。つまりノンアルビールは大好きであり救世主であり幸せのそばにある。

そういった食事の風景があるから人生やめらんない。

 

ノンアルビール、大好き。